クリミアとロシア 戦争の歴史
ロシア軍とみられる勢力がウクライナのクリミア半島に展開し、国際情勢に緊張が走っている。今回に限らず、クリミアは過去何度も大きな戦争の舞台となった。その一つが、1853年のクリミア半島を舞台に、ロシア帝国、オスマン・トルコ帝国、そしてヨーロッパ諸国が争ったクリミア戦争である。当時、南への領土拡大(南下政策)をとっていたロシア帝国は、黒海周辺のオスマン・トルコがフランスへのキリスト教保護権を認めたことに反発し開戦。一方、キリスト教の保護権をめぐってロシアと対立していたたフランス、黒海からインドへの交通路を確保したいイギリス、さらに当時分裂していたイタリア半島の統一を目指すサルディニア公国がオスマン・トルコ支援に動き出し、戦争は拡大した。最終的に、ロシアはクリミア半島のセヴァストポリ要塞陥落を契機に終戦に合意。国会の非武装化などを承諾し、南下政策は失敗に終わった。そんなクリミア戦争は、ロシアにとってヨーロッパに屈した戦争という意味合いを持つ。その後も所属国が何度も変わり、現在もウクライナ所属でありながら、多くのロシア系民族が住むクリミア。今回の軍事行動の背景には、多くの争いの歴史が渦巻いているのだ。
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